蓑虫庵

松尾芭蕉の門弟服部土芳(はっとりどほう)が元禄元年(1688)に構えた庵で、
些中庵(さちゅうあん)とよばれていました。 
 
庵に招かれた芭蕉が、「 蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 」
(みのむしの ねをききにこよ くさのいお) という句を贈り、
それ以後 「蓑虫庵」 と呼ばれるようになりました。


    

    






鍵屋の辻

寛永11年(1634)旧暦12月7日、
渡辺数馬が弟 源太夫の仇敵 河合又五郎を討つため姉婿である荒木又右衛門の助太刀のもと、
見事本懐(仇討ち)を遂げた所です。 
その後江戸時代から歌舞伎、浄瑠璃、講談などの題材になり人気を集めました。 
現代でも映画やテレビドラマで取り上げられています。








伊賀越資料館の中に、討ち取った河合又五郎の首を洗ったという「首洗いの池」があります。
(池を囲うように資料館を建てたので、資料館の中に入らないと池は見えません) 

芝居や講談では、荒木又右衛門の三十六人斬りと語られましたが、実際は河合又五郎方11人、
数馬方4人のうち討死したのは、河合又五郎方 4人、数馬方 1人でした。  


  









岩倉峡



   



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